瑞雲作 四天王像 |
四天王とは欲界六道の天上界の六欲天という人間界に近いまだ欲望のある世界の中の第1天、四大王衆天(しだいおうしゅてん)に住んでおられます。須弥山頂上のとう利天(とうりてん)に住む帝釈天に仕え仏法を護っていて、 多聞天は北方の北倶廬洲(ほっくるしゅう) 持国天は東方の東勝神洲(とうしょうしんしゅう) 増長天は南方の南瞻部洲(なんせんぶしゅう) 広目天は西方の西牛貨洲(さいごけしゅう)を守護しているとされます。 |
四天王像ご利益話 |
聖徳太子と四天王聖徳太子、四天王像を刻み戦勝を祈る日本書紀に書かれていることですが、二大豪族の蘇我馬子(そがのうまこ)と物部守屋(もののべのもりや)が皇位継承問題で対立していたとき大陸から伝わった仏教を導入するか否かで更に対立が深まりました。仏教肯定派の蘇我馬子は軍を率いて否定派の物部守屋を討伐に出ましたが、物部派の勢いが強く大変苦心していました。そんな折、皇軍(蘇我氏)について従軍していた聖徳太子は白膠(ぬるで)の木で自ら四天王像を彫刻し髪の毛に縛り付けました。そして、「敵に勝たせてくださったなら、必ず四天王のためにお寺を建てましょう。」と誓いました。四天王の霊験あってか聖徳太子達皇軍は戦いに勝利し、推古元年(593)に誓いを果たすべく建てたお寺が難波に建てられた四天王寺(本尊は救世観音で1946年に和宗総本山として天台宗から独立)でありました。 これが事実かは分かりませんが、蘇我氏と物部氏の戦いは史実であり救世観音の化身ともされる聖徳太子にふさわしいエピソードですね。 四天王とは仏教世界の中心にある須弥山の六欲天という人間界に近いまだ欲望のある世界の中の第1天、四大王衆天(しだいおうしゅてん)に住んでおられ須弥山頂上のとう利天(とうりてん)に住む帝釈天に仕え、それぞれ東西南北の方位に配置して仏法を護っていらっしゃいます。多聞天(独尊像として造像安置する場合は毘沙門天)と持国天、増長天、広目天のことです |
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