かわいい癒しの仏像誕生
ニューヨークで微笑仏像の個展
NIPPON GALLERY
1994年頃、神霊より「仏の抜け殻だけ彫っていないで、仏の魂と教えを彫るように」とのご神託を得て、さて、「仏の魂」とは何だろう?と仏典を読みあさっては答えを探し、思うような仏の形を作り、1996年にアメリカのニューヨークで初めての個展を開かせていただきました。作風はやや前衛的な10頭身以上のスタイルでアルカイックスマイルの癒しタイプの仏像でした。
月天
円空上人木喰上人の微笑仏との出会い
その後、全国を遍歴して修行した遊行僧で「木喰仏」と呼ばれる穏やかな微笑仏(みしょうぶつ)を多数残した木喰上人の仏像との出会いがあり、鎌倉時代の運慶や快慶の仏像みたいに立派で荘厳ではないけれど、素朴で飾らないまごころ、仏心が伝わってくる「木喰仏」に涙を流すほど見る者を自然と癒してしまう微笑仏像に本当に魅了されてしまったんです。私は木喰仏を見て「これだ!」とわかりました。これまで仏像の形にばかりこだわってきたけれど形は関係ないのだ、伝わってくる仏心は木喰上人の魂、経力、霊気だったのです。私の作風は以後円空や木喰風のように微笑んだ2~4頭身の癒しの仏像で、仏の魂、霊気を込めた今日の作風に至りました。仏像の歴史
最初の仏像は紀元後1世紀後半頃にインドの西北、ガンダーラで作られたとされます。今日のように儀軌(ぎき)という仏像に関する決まりが作られる前で、「釈迦への渇仰」という純粋な信仰心から比較的自由な発想で造られ、また台座光背などはシンプルなものでした。 日本に伝わると、はじめのうちは、やはり技巧にこらない作品が作られていましたが、時代を経ると段々と技巧を凝らした装飾的なものが作られるようになりました。現在では、殆どの仏像が外国で、しかも機械と安い労働力を使って大量生産される時代になっていて、仏を信仰の対象としているのか、台座光背を信仰の対象としているのかわからないほど低俗な工芸品になってしまいました。 今 、仏像ブームと言われており、美術展の盛況ぶり、奈良や京都などへの寺院巡りや秘仏の拝観など大変な人気です。このようなときこそ、「仏像とは何なのか」という本質に戻るべきではないでしょうか。 ※参照してください。 仏像の伝来と歴史 仏像の時代背景奈良時代 奈良時代は国家が仏教による国家統制を目指し全国にお寺と仏像を造らせた時代でした。平安時代 平安時代は公家の時代で仏師に仏像を造らせた時代でした。 鎌倉、室町時代 鎌倉、室町時代は武家の時代で武家の権力のために仏像が造られた時代でした。 江戸時代以降 庶民の時代になり、一般の人も仏像を祀るようになる時代で円空、木喰仏が有名。しかし、平成の世になっても真の意味で庶民のための仏像が造られているとは思えません。過去の遺品の模倣ではないですか? |
童子形に変化(へんげ)された観音様
観音菩薩
癒しの微笑仏像を彫り始める
私がかわいいを彫るようになったのは16年前くらいからです。それまで仏像と言えば殆ど寺院様からの注文でお顔やお姿は大人の体型の伝統的な仏像彫刻を作っていました。成人し完成された大人の体型が仏像の理想の姿とされる時代が仏像の誕生以来今日まで続いているのですが、仏師として独立して以来伝統的な作品が多い中で、最も注文数が多かったのが大黒天像でした。大黒天さまは米俵の上に乗って右手の小槌から金銀財宝を出され、にこにこ微笑んでいらっしゃいますね。また、私の大黒天像は他の仏師先生などの作品よりお顔が大きく、ふっくらとした仏像でしたから大変人気があったのです。その大黒天をこれまで5000体も造ったので、このことが基礎になっていて、いったん彫り始めると、次から次と新しいデザインが湧き制作できます。仏像ドットコムの微笑仏サイトご覧になってください。瑞雲
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仏師 松田瑞雲の 仏像製作風景 |
仏像制作の始めは瑞雲師自ら用材と身を清める御衣木加持をします。霊気、神気のある作品を造るため、完成に至るまで日々の読経は欠かすことがありません。 |
仏像販売 | リピーターの多いお店です。初めて仏像を購入してお祀りされた方が、不思議にも良いことが起こるので、また仏像が欲しくなってしまうんです。 |
瑞雲の微笑仏像 | 本家のサイトで、かわいい仏像坐像と癒しの仏像立像のオリジナル微笑仏像を展示販売しています。 |