観音様のご利益、仏像のご利益 エッセイ集
浅草寺雷門再建とご利益
- 慶応元年の火事で焼け落ちる
浅草の雷門はつい60年前まではなかったとのことです。慶応元年(1865年)の火事で焼け落ちて以来、何度も再建の話は出ましたが実現できないでおりました。そんなとき、浅草寺の貫首、清水谷大僧正がパナソニックの松下幸之助のもとへ訪ねてこられて、雷門を立て直してくださいとお願いされました。大僧正とは以前に神経痛を患ったとき祈願して直していただいたご縁があったのです。
- 松下幸之助はしばし考えていましたが、「寄進させていただきます。」と答えまして昭和34年に再建が始まったのでした。1年後に門が出来上がると松下幸之助は社員に東京の人が喜んでくれて良かったと伝えました。
- お陰様でパナソニックは創業100周年
「大正7年の創業以来ここまでこられたのは、皆様のおかげ」と松下幸之助は感謝されているそうです。大企業の会長なのに腰の低い立派な方ですね。観音様は寄進のご利益は何倍にも何万倍にもなって寄進者に帰ってくるといわれています。(2018年3月9日(土)朝日新聞より引用)
観音様とともに歩んだ彫刻家人生。無量無辺のご利益
- 私と観音様のご縁 私は鹿児島の貧乏な農家の長男として生まれましたが、10代の若さで家運の衰退に遭い「なんで不幸ばかり起こるのだろう」と嘆き発心して僧侶になって修行しようと決めたのでした。18歳の時、仏教系大学に入り坊さんの修行を始めた頃、師匠が日頃信仰している聖観音像や三十三観音など見せていただき、「観音様が松田に信仰をさせるように」と観音様からご神託があったとのことでした。この日以来毎日欠かさず、もう47年も観音様を拝んでいます。
聖観音像
- 救霊聖観音様との出会い
20代初め頃、当時お寺で小僧として修行していた私は将来についての悩み、恋愛の悩み等の煩悩で仏師、仏像彫刻家になることも僧侶になることも断念して、好き勝手に暮らそうと思ったことがありました。もう6年も努力しているのに、裏目裏目に出て、誰も本当に自分のことを思ってくれていないのではないか、もしかしたら、神も仏も架空のものではないかとまで考えました。一番辛い時期がありました。
日頃拝んでいた観音菩薩様に35日間の願掛けをして寺を去ろうと思ったので、雨の日も、どんなに忙しい日も、人目に分からぬようにと誓って35日目の夜いつものように観音菩薩像の前で拝んでおりました。1時間が過ぎた頃でしょうか、突然、屋内にいるのに風速30メ-トルくらいの強い風が吹き出したと思った瞬間、天が二つに割れて今までに見たこともないような明るい光が差しました。白色より白い明るさで辺り一面が純白の世界になったのです。 なんと神々しく、暖かい、北極の真ん中で凍え死のうとしているとき出会ったたき火よりも有り難く心地良い、胸が喜びでいっぱいにになって幸せすぎて爆発しそうな気持ちのする光でしょう。この情景と感動は文章で書き尽くせるものではありません。
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少し長くなりますが、最後まで読んでくださいね。目から鱗ですよ。
救霊聖観音像
- この話は私が体験した実話であり、思い出しながら書いております。本からの知識だけでは自分自身もピンとこないし、本当に人々を感動させることは出来ないからです。一般の方々ばかりでなく僧籍のある方、宗教関係のご職業の方も是非読んでいただきたいと思います。
さて、しばらくすると、また強風が出てきました。パタパタと何かが風にたなびく音がしています。純白の世界は次第にその姿を現し始めました。雲海です。何層にも重なった白い雲の束は遙か向こうまで見渡せます。ますます風は強く吹いてきて、吹き飛ばされるのではないかと思った瞬間、私は何者かに頭を押さえつけられてしまいました。
息が出来ません。苦しさにあえぐように私の口から自然に助けを求める声が飛び出しました。「ああ、すみません、もう悪いことは致しません、仏を父と思い母と思いお仕えしましょう」でも、しきりに懺悔している、この声は私の声ではありません。ますます、苦しくなったのでこれで私も今生の別れの時が来たと思い、ありったけの声と力を振り絞って、「南無観世音菩薩、南無観世音菩薩、南無観世音、観音様ーーー」と大声で泣きながら拝みました。
すると、体がだんだんに軽くなり息も出来るようになりました。畳は涙でしめっております。何があったのか頭を起こしてみますと、そこには、パタパタと風にたなびく純白の天衣が手の届くところにあります。もうすこし目を上へ向けますと、等身大で白い衣をまとった観音様が立っていらっしゃいます。その美しさ、荘厳さは言葉で表現出来ませんが、白色を越えた白金色のような金銀の光を放つ白色のおからだと衣です。観音様の後ろ脇には鉾を右手に持って控えていらっしゃる 天燃色の毘沙門天さまのお姿がありました。仏画や仏像の写真集などでみるお姿と全く同じであります。
先ほどまでの苦しさは嘘のように消え、胸の奥底から喜びがこみ上げてきます。うれしさのあまり笑みがこぼれ出しました。まるで赤ん坊が母親に抱かれているような気持ちです。幼くして母親と生き別れしなければならなかった子が数十年後に再会したような喜び、私はこれが絶対に夢であってはいけないと自分の頬をつねってみました。やはり痛い。風にたなびいて、時折自分の肩にも触れる天衣と観音様のお衣をさわってみました。指でつまんでこすってみますと、これは絹です。肌ざわりの良い絹のような感触でお衣のどこを見ても全く縫い目がありません。天衣無縫とはよく言ったものだと思いました。しばらくの間、私は会い難い仏に会えた喜びをしっかりかみしめておりました。
私は、わざわざ仏の世界からご来臨され観音様に何度も礼拝し、あまりの感謝と喜びでどうか私を観音様のおそばに置いて下さい、一緒に連れていって下さいとお願いしました。今、現に観音のいらっしゃる、この世界こそが真実の永遠の世界と思ったのです。
すると、誰か、観音様でしょうか、御手を私の頭に当てられました。そして、右の肩をポンポンとたたかれました。誰か来たのかなと、礼拝の姿勢から頭を上げますと、もうそこは先ほど拝んでいた観音像の安置してある後宝前でありました。観音様も毘沙門天様もいらっしゃいません。畳の表面と涙を拭いたハンカチは涙でびしょぬれです。当たりを見渡しても誰も来ておりません。私は、初めての体験をもう一度かみしめたくて、しばらくは、頭を畳につけたままでおりました。午後11時でありました。9時頃拝み始めたわけですから2時間がたったわけです。かなりエネルギ-を消耗したのか、フラフラしておりました。35日間の願掛けはこうして終わったわけです。
次の日の夜、観音像の持ち主であり、影になり日向になりして私を導いて下さる師匠の大観先生から観音様が今朝の明け方、出てこられてお言葉があったよと言われました。大変、喜んでおられたと言うことで次のご神託を頂きました。
「宝の珠を授けてやったぞ。人生、生きている限り修行であるぞよ。残り少ない下積み時代を大切に、己を無にして修行するように。困ったときはいつでも来るように」と。
大変な経験でありました。この後、一週間ほどは嬉しい気持ちで満たされいて、外を歩くにも雲の上を歩いてるような気がしました。完全に普通の状態(煩悩の多い私)に戻るには一ヶ月かかりました。 写真の救霊聖観音さまが、その時に出てこられた観音さまを兄弟子の依頼で15年後に等身大で造ったお像です。
- 救霊聖観音様に病気を治してもらう
18歳から30歳までの修業は本当に仏様の慈愛とご利益を感じられましたし、人生の悲哀を一生分感じた時期でもありました。24歳の頃に腰の具合が悪くて歩けなくなったとき、観音の神託が師匠を通じてあり、「命がけで拝むように」とのことで、観音像の前で一生懸命拝んでいますと漫画で描いたような白い星の集団が観音から現れ私の腰のまわりを回り始めました。お陰様で2,3日して腰の病気は完治し、それから40年以上健康でおります。
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観音様に仏像彫刻の指導を受ける
私は青年期をお寺の修行僧として送りましたから、仏師に弟子入りしたとか、誰かの弟子になったとか経験はありません。僧侶は師匠についていますが、仏像彫刻は独学なんです。あるとき、観音様が彫刻の才能を開眼させてやるからと、白檀材を求めていくつかの課題の仏像を彫るようにということで、可知大観先生が買い求めてくれた高価な白檀で仏像を何体か彫っているうちに大変な技術を身につけさせていただいたのです。彫刻でわからないことがあったら観音を拝むようにとご神託を受け、また、「仏像を彫る時は我を捨て無になって彫るよう」にと諭され、以後そのようにして彫刻するようになったら全ての仏像が思いのままに彫れるようになったのです。だから観音様や可知大観先生が本当の彫刻の師匠です。 - 仏師、仏像彫刻家として成功する
「仏師、仏像作家だけが大成する道じゃ」と観音よりご神託をいただいたのは僧侶の修行をはじめて2,3年した頃でした。 もう既に5,6000体くらいは彫っています。
- 私は、わざわざ仏の世界からご来臨され観音様に何度も礼拝しました。このことがあって出てこられた観音様を彫ってくれと兄弟子から話があり、木材を寄進される方、観音像の絵の具を寄進される方とか出てこられたので、私は技術を寄進しようと等身大の救霊聖観音像を10年近くかかって完成させたのでした。
- 仏師、仏像作家として独立し、もう三十五年間も仏像制作の仕事に追いまくられております。この間、何回も観音様を拝み、お姿こそお現しになられませんが、一心に拝んだときには、紫色の光の玉となってご来臨あそばされます。
- 観音様に大ご利益をいただく。
50歳くらいの時、入院しました。一月後退院してしばらく仏像の注文がこないときがありました。もうこの年で仕事も終わりかと悲嘆しましたが、丁度この頃、兄弟子を通じて観音よりご神託がありました。「お坊さんは良い檀家があって繁盛する。彫刻家は良いパトロンがあって成功する。観音像を造ってくれたそなたに授けるべきお土産、ご利益があるぞ。もうじき授けられるぞ。」とのことでした。私は「ホーそうなのかな」と思ったことでした。
そして本当にまもなく、不思議なご縁で某法人の会長から注文が来るようになりました。また、信仰深い関西のお医者さんともご縁をいただき、たくさんのご注文をいただきました。観音様がおっしゃったように誠にこの二人のパトロンのお陰で仏像作家としての成功者になれたのではないでしょうか?本当に神仏のご利益は想像を絶した無量無辺で広大、不可思議なものなんです。
仏像のご利益話 抜粋集全17話
仏像の霊験に関する説話、ご利益話の多くが今昔物語集にあります。それらは1000年も前から伝わる実際の歴史にねざしています。仏像の歴史上、平安時代になると、最澄、空海が出て密教を広め大阪観心寺 如意観音像、神護寺五大虚空蔵菩薩像など密教系の仏像など全国各地で仏像が造られるようなった。また平安時代後期には浄土信仰が広がって平等院鳳凰堂阿弥陀如来像などの阿弥陀如来像が多く作られ、仏像は庶民のものになってきました。従って不思議な体験をしたという霊験話も多く伝わっています。瑞雲作 かわいい癒しの仏像を取り入れ
- 全17話公開。
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ご利益がいただける仏像のご紹介